野村紘一氏は、不動産業界の風雲児として業界ではその名を知らない人はいないと言われている人物です。1970年代に株式会社アルテカを起業し、それまで日本にはなかった高付加価値のマンションである億ションという不動産商品を日本にもたらした人物と言われています。
当時、日本は高度経済成長真っ只中にあり、野村紘一氏がもたらした億単位のお金を出さなければ飼うことができない超高級マンションは富裕層に受け入れられたのです。しかしながら、戦後長く続いた経済成長は1990年代のバブルの崩壊を持って終焉を迎えたのです。当時、多くの不動産会社が倒産に追い込まれ、負債を背負い込まされてしまっていました。
このような日本の経済状況下において、野村氏が会長を務める株式会社アルテカはどのように困難な時代を生き抜いてきたのでしょうか。バブル崩壊後、日本経済は急速に収縮していきました。デフレの時代を迎えて薄利多売という多少粗悪なものであっても、安ければ売れる時代が到来したのです。しかしながら、株式会社アルテカはその時代の流れに乗ること無く、堅実経営を続けながらも高付加価値の不動産開発にこだわり続けました。いつの時代にも価値のあるものは時代の流れに左右されること無く売れ続けるという今まで培ってきたノウハウが有るため、バブル崩壊後も富裕層向けの不動産開発を続けていったのです。
たとえ景気が悪い時代においても、薄利多売を目指すのではなく、価値のあるものはその価値に見合った学で売買することができるとの経営理念に基づいて不動産開発を行ってきたのです。もちろん、バブル崩壊はディベロッパーとして厳しい時代では合ったものの、いつの時代にものも浦紘一氏の経営理念は富裕層の間で受け入れられ、信頼を集めてきました。特に、富裕層の間で高く評価されたのが、土地有効活用の等価交換方式だったのです。新しい考え方をいち早く取り入れ、土地所有者にリスクの少ない開発方法が歓迎されました。
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