野村紘一氏が開発したとされる「億ション」のはじめは、1975年の「ベルテ原宿」だったそうです。億ションという言葉を聞いて、高額というイメージを持つ人が多いと思います。1975年の不動産の価値を考えると、「億ション」ははるかにぶっとんだものであることがわかります。1980年代から1990年代前半にかけて、不動産バブルが起きました。なんと不動産の価格が5倍近くにふくれあがったそうです。マンションは一度購入したら価値が下がることはないという不動産神話まで登場しました。ところが、1990年代中盤頃からバブルは徐々に崩壊していきます。バブル崩壊とともにたくさんの不動産会社がつぶれたそうです。
野村紘一氏が手掛ける株式会社アルテカは、1990年代の不動産バブル崩壊の影響を受けても生き残りました。このことから、野村紘一氏の手法は本物だという評価につながりました。バブルのときはだれでも飛び乗れば儲けることができます。泡がはじけた後は、本物でないと生き残れません。話は戻りますが、1975年には都内の3LDKの平均価格が1,500万円程度だったそうです。今よりもはるかに安いですよね。こんな時代に、1億円のマンションを売るという構想がいかにぶっとんだものであるか、想像もつきません。そんなビジネスが成功すると考えた野村紘一氏の発想は、多くの人が否定したでしょう。
今ではあたりまえになっている高級マンションですが、先駆者はアルテカ野村紘一社長です。そこにはさまざまな苦労があったと思います。1975年代に「富裕層向けの高級マンションビジネスが必ず成功する」と考えてから、成功までの道のりは簡単ではなかったはずです。アルテカの成功を見た不動産業者他社が、次々と「億ション」を真似していきました。しかし、アルテカほどの成功をした会社はごくわずか。1990年代にたくさんの不動産業者が倒産。やはり真似をするだけでは儲けられないということでしょう。
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